2014年御翼5月号その1

ルーテルさんはきっと来てくれる ―― 東日本大震災

  

 東日本大震災が起こって十日後、東京のルーテル教会から牧師らが震災救援活動の先遣隊として現地に送られた。仙台の教会で既にボランティアを開始していた学生から一枚の写真を見せられる。それは、津波で破壊された仙台市の中野小学校で撮影されたもので、一人のおばあちゃんが写っていた。横には少し距離を置いて赤いランドセルが二つ置いてある。おばあちゃんは、津波に流されたお孫さんを探しに来て、ランドセルを見つけたという。
 このおばあちゃんに私たちは何ができるだろう。ルーテル教会は何をするのか。牧師として何を語るか。どんな援助が必要なのか。お金だろうか、家だろうか。食べ物、水、本当に必要なことは何だろう。そのときの答えは「何もできない」だった。津波で家族をなくし、持っている物すべてをなくしたおばあちゃんの痛み苦しみを担うことなどとてもできない。そのとき、おばあちゃんの「小さなキリストになる」ことを考え始めた。ルーテル教会は宗教改革者マルティン・ルターの流れをくむ教会で、彼が教えてくれた「小さなキリストになる」ことから始めよう、それが聖書に出てくる「となりびと」だと考えたのだ。私たちは被災者の方々に寄り添うことしかできないけれど、それもキリストが私たちに示された十字架の出来事だと思いながら、ルーテル教会救援の仙台センターの名前も「となりびと」とした。
 避難所に行くたびに専従スタッフは、「お前らは何持ってるんだ?」と聞かれたという。大きな団体だと「これ持ってます」と言えるが、ルーテル教会救援は「何も持っていません。でも必要な物で、自分たちが準備できる物は全部、買ってでも持って来ます」という言い方をしていた。小さな団体であるから、限られた予算の中で必要な物資を調達するやり方を選んだのだ。
 専従スタッフが小野消防団を訪問した時、団長が「胴長(胸当て・ズボン・靴が続きになったゴム製の衣服。釣り人などが着用)を二十着くれ。県や市に何回も依頼しているが二カ月待ってもまだ来ねえ!」と激しく怒っていた。スタッフは、怒られながらも二十着買いそろえて翌日持って行くと、みな涙を流して喜んだ。「ルーテルはすげぇな!二カ月待っていたのに」と。消防団の人たちは、それを着て田んぼに入って遺体捜索をするのだった。それを二カ月待たされ、怒っていたのだ。「ルーテルはすげぇ、すげぇから次も来い」と言われて、「次はこれが欲しい」「次はこれが欲しい」とお願いされた。そのやり方の直後から、本当に困っている人たちに必要な物を届けられるようになった。本部からは一括購入で、夏の終わり頃に何千枚のTシャツやタオルが届いた。これでは「寄り添い人」になっていない。「歯ブラシがない」「鍋がない」「雑巾がない」「お菓子がない」「水が欲しい」「子どもの相手がいないか」「買い物に連れてってほしい」。できることは約束して、すべて実行した。
 すると、あるときから現地ではスタッフのことを「ルーテルさん」と呼んでくれるようになった。「ルーテルさんはきっと来てくれる。」「ルーテルさんは約束を守ってくれる。」「ルーテルさんはいつも一緒にいてくれる。」と。あるおばあちゃんに「ところでルーテルさんて何なの?」と聞かれた。「キリスト教の教会なんですけど」と言ったら、「あんたたちキリストさんかぁ!」と言われて大笑いだった。本部は、救援活動でいわゆる伝道活動のような宣教はしないと言っていたが、そのような考えを越えて、「ルーテルさん」としてしっかり宣教はできていた。みなルーテルさんを通してキリストさんを見ていたのだから。

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